蔵出し自炊書庫:W・H・マクニール 『疫病の世界史』

読書時にCheckを入れた箇所のうち、シッカリと記憶に留めておこうと思うコト。

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W.H.マクニール 佐々木昭夫訳『疫病と世界史』新潮社:1985/05/25

はじめに
序 論 
第一章 狩猟者としての人類 
第二章 歴史時代へ
第三章 ユーラシア大陸における疾病常生地としての各文明圏の間の交流
       紀元前五〇〇年から紀元一二〇〇年まで
第四章 モンゴル帝国勃興の影響による疾病バランスの激変
       紀元一二〇〇年から紀元一五〇〇年まで
第五章 大洋を越えての疾病交換
       紀元一五〇〇年から一七〇〇年まで
第六章 紀元一七〇〇年以降の医学と医療組織がもたらした生態的影響
付録 中国における疫病
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◆マクロ寄生とミクロ寄生
 文明と病原菌

◆ペスト
 ユーラシア草原地帯の病原体保有動物の近くに住んでいた人びとの間では、ペストは一向に無くならならず ~ 激しさを減じたということも全くなかった。乏しい証拠をかき集めて三度の地球的規模の大流行をでっち上げようという努力は、西ヨーロッパだけのペスト体験を全ユーラシアに投影しようとする誤った試み。
 一二〇〇年と一三九二年の間の中国人口の半減をよく説明し得るものは、~ ペストの蔓延。一三六八年の中国からの撤収に象徴されるモンゴル帝国の衰微が、パストゥーンラ・ベスティスが恐らく草原地帯全域に広がったと思われる時期にすぐ続いている。

◆梅毒
 フランペジアは、中世の医師が癩病に分類したと思われる病気である。これはスピロヘータの感染から発病するが、このスピロヘータは梅毒を起こすそれと区別できない。
 梅毒だけはアメリカのインディオから来たと信じる人がまだいるが、これも疑問である。

◆天然痘
 統計学上の分析を重ねた結果、以前の推定値は十倍あるいはそれ以上に引き上げられ、征服直前の原住民の総人口は約一億と計算されている。
 うち二千五百万から三千万がメキシコの文明中心地の人口とされ、~ 五十年もたたない一五六八年に、メキシコ中央部の人口は三百万にやせ細っていた。コルテスが上陸したときのほぼ十分の一である。~ さらにその後の五十年間にも進行し、一六二〇年には約百六十万という最低値に達した。

◆医学と医療組織
 医学的治療と医療機関が人類の平均寿命と人口増に大幅な変化をもたらすのは、実はようやく一八五〇年以降になってからのこと。
 実は、人痘種痘は、アラビア、~、インドなど広範な地域にわたって、民衆のレベルではすでによく知られ、実行されていた ~ 中国式の方法についての報告は、すでに一七〇〇年ロンドンに達している。
 イギリス人の田舎医者エドワード・ジェンナーがワクチンを発見し、一七九八年その実際の成果を広く世界に向けて公刊。
 天然痘の効果的な予防法の普及はナポレオン戦争の副産物。
 一八八〇年代以降、一連の劇的な勝利が医学者の側に相次いだ。~ 一九〇〇年には、~ 初めて都市人口が田舎からの流入人口に依存せずともみずからその数を維持し、増やしてさえゆくことが可能となった

    ず~~~と、『疾病(シッペイ)と世界史』だと思ってた。(^_^;)

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