一九五三年台湾生まれ。十四歳のときより洪懿祥門下で張峻峰伝の八卦掌、形意拳などの他、少林拳を始めとする各種の拳法を学ぶ。十六歳のときには早くも台北市で開かれた国術大会に参加。以後の主な成績は以下の通りである。
一九六九年(十六歳)台北市国術擂台2位
一九七〇年(十七歳)台北市国術擂台優勝
一九七一年(十八歳)全国国術擂台2位
一九七三年(二十歳)蒋介石杯国術擂台優勝
ちなみに当時の台湾における擂台のルールは、ヘッドギアと金的カップを使用した上で、顔面突き、蹴り、投げ、逆技等のあらゆる攻撃を認める激しいものである。
中国武術に限らず、キックボクシング、柔道、ボクシング、テッコンドー、日本の空手などが参加し、試合はさながら異種格闘技戦の様相を呈する。
二十歳未満にして、そのような大小の擂台を経験した氏は、関係者から“擂台の天才児”と呼ばれた。以後、沖縄、日本、アメリカなどに武者修行を重ねる。
現在は、台北在住。
「武術」_006 1984年夏号“散打の技法”
「武術」_007 1984年秋号“散打の技法”
「武術」_030_1988年6月号 腿撃法
「武術」_036_1987年12月号〔完璧なる構えとは何か?〕