晴功雨読】読書メモ:桃崎有一郎_『平安京はいらなかった』

ザックリ纏めると、「平安京は、日本が背伸びしたオーバースペックの首都だった」ということ。
非常に興味深く読めた。けど、平安京についてより、宮中についての蘊蓄に食い付いてました。

・藤原京は近代の研究者が創作した造語で、実際には新益京(あらましのみやこ)と呼ばれた
・周の理想的な行政制度を記録したとされる『周礼』とは無関係に成立した書物らしい「考工記」に書かれた都城プラン(創作された伝説にすぎず、実在した可能性は低い)を信じ、それをまねて藤原京の平面プランを設計した。
・三位以上の人々を「公卿」という。
・例えば足利尊氏は、姓・尸が「源朝臣」なので、六位の時は「源尊氏」、五位の時は単に「尊氏」、四位の時は「尊氏朝臣」、三位・二位の時は「尊氏卿」、大臣の時(死後に左大臣の官を贈られた)は「尊氏公」と呼ぶ。【敬意をこめて、「三成公」と言ったりするけど厳密にはちがうのね。(^_^;)】
・生涯の大部分を六位かそれ以下で過ごす人々のうち、公達などと主従関係を結んで「侍う(側近く仕える)」仕事を世襲した家柄の人々は「侍」といわれ、ここまでが支配階級として、庶人に君臨する。
・「士」は民ではなく、民の上にある支配階級で、農民が武装したところで、武士と呼ばれない。

・真田幸村の「左衛門佐」は、室町幕府で三管領(将軍を輔佐する管領になれる三家〉ひとつ斯波氏が代々名乗っていた官位だった。
というのが、一番食い付いたところだったりする。(^_^;)

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