-介護虐待は未然防止したけれど-
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●「ヘビー・ローテーション」という地獄
以前ネットで、認知症を「不愉快な事がない世界に微睡(マドロ)むのなら悪くない」と考える学生に対して、教授が「不平不満の強い人は、それを頭の中で再現して、不幸に耽溺している」と諭す記事を読みました。今思うと、この学生は男の子なんだろうな、と。(^_^;) 男性が女性に対して驚くことに、「昔の小さな齟齬を覚えていて、数年後数十年後に突然糾弾される」と言うのがあります。男性は「小さな嫌なコトはさっさと忘れる」人が多いので理解できないのでしょうが、女性は「ソレを頭の中で反芻しているし、下手をすると強化増幅している」んですよね。(^_^;)
以後、「ヘビー・ローテーション地獄に陥らないように、幸福や幸運を認識、感謝しながら生きよう」と考えるようになりました。
●「鬼娘」「鬼息子」
「鬼娘」とは最近見つけた、母親の介護ストレスを発散する為のブログの表題にあった表現。
母親の介護が視野に入って来た時に、折良く松浦さんの「介護生活敗戦記」の連載を見つけました。同時期に読んだ「インスタントコーヒーを買いたいが、買い間違えて息子に怒られる恐怖で選べない老母」の記事も印象に残っています。コレなどは「鬼息子による心理的虐待」でしょうね。
友人の介護経験というワン・クッションが入った事で、前向きな姿勢に転じることができました。「自分の思いどおりでない現状(母親の状況)に対する不満」を、一番の弱者である当人に向けてしまうコーヒー母の息子さんの「心の弱さ」に気づくことができ、他山の石とする事ができました。母親が倒れる前に、高齢者の自尊心を傷つけない言動についても予習する事ができたのは、幸いでした。
●「毒親」と「天使息子と悪魔息子」
母親を高齢者住宅に呼び寄せてすぐに、長男が毒親気質で、母親に対しても幼稚園児扱いする暴君であることに気づき、金銭的・精神的虐待を加えられないように成年後見人の準備などの防御措置を講じました。(コーヒーの記事が役立った?)結果、管理・支配・押しつけはほぼ抑えられたと思います。それでも、週に一回、数分の面会での「自分の思い通りにならない/自分でなく次男を頼りにする」不満への直面で、要支援レベルでまだ判断力を維持していた母親に暴言を吐くことまでは防止はできませんでした。
それらから、「希望を言っても全否定するし、大声で高圧的な長男」と、「希望を叶えてくれ、愚痴を聞いてくれる次男」は、彼女のなかで「悪魔と天使」の役割を確立してしまったようです。当初から「構ってほしい/労って欲しい/優しい息子の存在を自慢したい」のでしょう。「長男に虐められて可哀想な自分」を頻繁に訴えてきて、訪問する度に長男夫婦に対する愚痴・不満を繰り返し聞かされていました。(これもヘビー・ローテーションですね)最近は、「小遣いを取り上げられた」「共有スペースで罵倒された」「手を上げられた」等、「彼女が考え得る虐待」を創造して連絡してくるようになりました。
「コーヒー母」の事例のように、心の弱い人はストレスを受けると、手近な弱者にぶつけます。まだそれが理解できていなかった時期に、母親の長男に対する泣きながらの愚痴を聞いた後、長男に「母親を泣かせるな」と怒りの電話した事がありました。そしたら、強者である私には何も言わず、すぐに「虐められているとは何事だ」と母親にねじ込みました。
家族を支配する以外に接する方法を知らない「心が弱い」長男。彼に、「自身の母親の中での悪魔化」を伝えても、受け入れられるとは思えません。逆に母親に辛くあたる事が予想されます。
接見禁止も一瞬考えましたが、それはそれで母親が悲しむことが予想できます。
●「介護は後退戦」
母親の中では「最悪な鬼息子」と化していますが、鬼息子/毒親がなし得る虐待は全て封じてあります。長男に可能なのは「面会時に、不快/不安にする話をする」事ぐらいです。考えて見ればこれは虐待では無く、「性格の問題」です。
現状は客観的に見ると、ごくありふれた「家族間の不和」なんでしょうね。敗戦記から得た「介護は後退戦」という視点を忘れないようにして、「母親を支配下におけない」「次男に完敗している」事にストレスを感じている長男をこじらせないようにしないと。
母親には、コロナが落ち着いたら、好物の「うふプリン」でも差し入れるとしようかな、と。
松浦晋也『母さん、ごめん。50代独身男の介護奮闘記』(介護生活敗戦記)