明師考】日曜練習雑感

今日は、火曜日の「川崎通り魔事件」(柳刃2本包丁通り魔事件)を受けて、最初に「武術=サバイバル=護身」についての、復習をひとくさり。(^_^;)

大】常に周囲に気を配る(後から刺されたりしないように)
中】まず身を守る≒距離を取る≒モノを投げる(羅漢銭等)
小】刃物に対して素手で制しようとしない≒折畳み傘短棒術※

納得はしているみたいだけど、羅漢銭等を「実践」に移すまでには、まだ時間が必要かな?

あとは、普通に八卦掌:単換掌、青龍返首と懐中抱月の用法など。

※「短棒術」と言いつつ、その実はほとんどが剣術だったりする。(^_^;)

明師考】「人生初筋膜リリース」かな?

少しくらいズレていても、分かり易いのがよいかな?と考え、勁力の出し方を説明するとき、一部を大きく見せたり、ゆ~~~くりとやって見せたりする事が増えています。
残念ながら、それで、「そっか! そうだったのか!」とその場で理解して貰えることはマレだったりしますが。(^_^;)

その理由の一つとして、「自分の体が再現できない動きは、頭でも理解し難い」ことがあるように思えます。
自分の可動域を超えた角度で曲げた関節から発力し、この順番で発力するのだと、ゆっくりとは言え見せられても、「曲げるのは無理~意識したことも無い」人にとって、納得するのは簡単ではないのでしょうね。

対策として、「個人個人の状態に併せた『柔軟(ストレッチ)法』を指導する」というのをやっています。
以前は、ツイツイ「一番正しい」(とおもわれている、一番ハードな)柔軟姿勢を教えがちでした。(^_^;)その人の現在の可動域をあげるのに適した方法を示し、その人がその姿勢に挑戦して目を離しているウチに自分の柔軟を行う。(私の姿勢を見てしまうと、いくら言ってもそれをマネしようとしちゃう人がいるんですよね。(^_^;))

で、最初の頃は「体が硬い方」の人で、前屈で床から手が30cmくらい離れていた人が、最近はまっすぐの前屈なら床に指が触れるようになったので、腰の斜め後方の伸ばし方を指導していた時の事。
小さく、「ミ”,ミ”,ミ”」というような音が聞こえました。
「あれ~、何の音だろう? 空耳かな?」と思いつつ、反対側も伸ばすように言った所、同様な音が腰の辺りから聞こえて来ました。

自分が筋膜リリースした時は音がしないので、気づきませんでしたが、多分筋膜リリースした時の音なんだろうな、と。
この時、腰の斜め後方の筋肉群も延びたので、斜めでも床に指が触れるようになりました。

柔軟は、血圧を下げる効果も見込めるんですよね。
実は、身近な例として、数年前心意六合拳の先輩が脳溢血で倒れ、まだ武術家として再起していません。
寿命を延ばすことは大事ですが、「健康寿命を延ばす事」にはより意味があるとかんがえています。

徐文忠老師や何福生老師のように、「亡くなる直前まで元気いっぱいに武術を指導」を目指して、柔軟(ストレッチ・導引)法の手を抜かないようにしなくっちゃ。(^_^)

「後知恵バイアス」と「呪いを吐く行為」

「悪い予感が当たった」と書きましたが、「実行委員長はYさんがやってくれることになり、次回自分は何もしなくて良くなった」と喜んでいた当時の彼にどんな発言をしたか、当時の状況を思い出してみてました。

喜んでいる彼の気持ちに水をささない為に、「上手くいくといいですね」という「半分“も”残っている」的な「優しい表現」をしたように思えます。
「上手くいかないかもしれませんよ」という反面表現や考え得るトラブル状態の予測などを口にしなかったのは、「他の成功を望んでいない」という『暗黒面に落ち込まない』為でした。(つまり、自分の為)
「人の悪い未来を予見し、口にする」ことを、『「呪いを吐く」行為』と考えているのですが、これは日本的な「言霊」信仰にゆる~く囚われているのかもしれません。(自分の業務については、最悪シミュレーションはしないといけませんけどね。(^_^;))

今となれば、「まかせた仕事がちゃんとなされているか、時々チェックした方が良いですよ」くらいは言っておくべきだったかな、と思います。うまく行かなかったときに”尻拭い”をするハメになるのは彼しかいないのは自明だったのですから。
同様な後知恵バイアスで、今回のような「事前に業務リストを作った事や、時間切れ後に中途半端で投げ出された事のリカバリーを含めて、初めから自分でやっていたより大変な事態に陥ることも予測していた」、と口にしそうになってしまいます。(^_^;)

ま、ともかく、事前に、「悪い未来を予言する」という『呪いを吐く行為』も、事後に「悪しき現状を予見していたと主張する」『後知恵バイアス』も、どちらも「人を幸福にする」ことはないので、戒めないと、、、。(^_^;)

しっかし、俯瞰して見ると、「選手受付」という「入口」と「閉会挨拶」(出口)という、対外的な『顔』の面はしっかりと確保している。
コレは「実務は投げ出しても、彼が尻拭いをしてくれる」であろうコトを見越した、『確信犯』の可能性が高いな。
ッタク、ヨソの弟子を奴隷労働させんじゃないよ! (`ヘ´) プンプン。

「愚痴を聞くのも友情のウチ」-2

うむ、これはあれだな。
「友人が“ブラック部署”に囚われていたら、どのようなサポートをするべきか?」と、極々近似なような気がする。(^_^;)

そうか、「やりがい搾取」って、こんなパターンもあるのか、、、、。

「ブラック部署」ですからね。「ブラック企業」ではなくて。念の為。(^_^;)

「愚痴を聞くのも友情のウチ」

先日、5月になったら、愚痴をきく飲み会を開く約束をした旨、書きました。
実は、「気持ちに寄り添う」って不得手なんですよね。(^_^;)
自身が共感・共有したいと思う感情(?)って、「何かを成し遂げた“達成感”」ぐらいしか、思い浮かびません。

それに気づいたのは、散打大会をお手伝いに行っていたおり、京都のI先生から共通の知人である「困った人」について、(私の千倍万倍(^_^;)あったであろう)苦労話を聞かされた時でした。
「困った人」については、「(被害が及ばない)適正な距離」と「類似品に対する予防のノウハウ」を確立した後は、なるべく思い出さない方が良いと考えていました。
ですから、ワザワザ昔の嫌なコトなんか、思い出さなくても良いのに、と考えたりしていました。
いまは、共通の話題で、「共感」し、親密感を実感したかったのだろうなと分かります。

けど、心理学の所見が増えるにつれ、女性に限らず多くの「愚痴」や「相談」が、「解答」や「知恵」を求めているのではなく、「共感」が主目的であることが、分かってきました。
わりと、最近、ソレを端的に表すツイートを見ました。(保存し損ねてしまったのが、残念)
だいたい、以下のような感じです。

妻:何も言わないで、ウンウンと聞いてほしいの。
夫:わかった。
妻:(日中の人間関係など)斯く斯く云々
夫:それは、ああして、こうすれば~~~
妻:(心のなかで)バ~~~カ、バカ。

と、いうわけでで、「大変でしたね」「困った人達ですね」と初期のAIでも可能な相づちに留め、「聞かれれば」今後の対応について、知恵を出すといたしませう。(つまり、「聞かれなければ」、あえて言わない(^_^;))

「百里を行く者は九十里を半ばとす」って諺、
『戦国策』に由来する言葉なのにね。(^_^;)

これもまた「セルフネグレクト」かな~~~?

日曜の大会後、帰路に載ったタクシーの運転手さんが、気になったのでひとくさり。

1)防具類を見て、いきなり「載らない」と乗車拒否まがいの言動。(来る時は、載せてきたと何度か押し問答。乗車後、往路も同じ日本交通の同型車であった旨を伝える)
2)「平和島駅に向かって。駅のスグそばだから」と伝えるも、「平和島」と脳内変換(し、復唱の確認を取らず)
3)「海岸通りを道なりに、大池競馬場の前を通って」と言ったのを「湾岸道路を」と脳内変換。勝島で大井競馬場の前で左折。湾岸道路へ。

「思い込み」「脳内変換」が激しい人間だとわかったので、「行き先は間違えないように復唱するコトになっているのでは?」と指摘すると「その通りです。(言い訳をしようとするが、グッと自制して)、言い訳になってしまいますね。申し訳ありません。」と。

40代とおぼしき男性のドライバーだったのですが、言い訳を自制するあたり、コミュ障ないし、他罰癖をこじらせているワケではないように見受けられました。
会社からきつく言われているのでしょうね。遠回りをした分は、自主的に減額してくれました。

これはあれかな~~~?
運転だけで「イッパイ。イッパイ」なので、自分が想定していた標準枠から外れた客に遭遇すると逃げようとしてしまうのか?
「同乗するのは、何名ですか?」と一言聞けばスグにわかるものを、いきなり「載りません!」と否定してしまう。
それと、子どもの頃の「ルールを守らない」ことで、「小さな顕示欲」を満足させていた癖が後を引き、自分の為のマニュアルを守ることにも抵抗があるのかな、と。
ちょうど、往路で呼んだタクシーのドライバーが、50歳前後とおぼしき女性の新人ドライバーだったのですが、「荷物に触って宜しいですか?」と基本に忠実でしたし、向上心が見受けられた人だったので、対比が印象に残った次第です。

彼は、「小さな手抜き」によって、時間ロスと収入の減少を自ら招いていたワケですが、自身を振り返って見れば、「日々、向上の為の“正しい努力”を継続している頻度・密度」は、「人のこと,言えたギリじゃないな~~~」と自省した次第です。(^_^;)

と、いうワケで今晩は、

「雅方 羊肉爐」の画像検索結果
原汁紅燒羊肉爐

『人は、「はやっている(人気がある)」「有利と言われている」モノを“好き”と錯覚する』

 先日亡くなられた堺屋太一氏がTVで話しておられた言葉です。
 元ネタは、マリリン・ファーガソンという女性の『人間は「有利だ」と聞かされたものを、「好きだ」と錯覚してしまう、そのように教育を受ける』らしい。

 会員さんから、「体脂肪率が26%なので、筋トレをやって減らそうかと思っている」という話を聞いて、浮かんだのが表題の言葉。
筋トレって流行っているんですね~~~。(^_^;)
 いえね、その会員さんはフルマラソンを何度も完走している人なんで、走るのが好きで週に数回走っているハズなんです。(仕事が忙しくなり、道場の方には最近は週一のペースでしか来られてませんけどね)
 それでも、走りのレベルを上げようとか、脂肪燃焼に効果の高い練習法を聞かず、筋トレを考えるっていうのは、筋トレとダイエットがそれだけ人気があるってコトなんでしょうね。

 最近は、サンクコストに縛られずに、「心地良い」にはお金を払うことに留意しています。(直近では、細くて洗い難かった断熱ジョッキを少し径の広いものに買い換えました。(^_^;))
 自分の過去を振り返って見ても、「カッコ良い」と思って消費したものって、だいたい上記の「流行っている(人気がある)」に影響を受けていて、効率や使い勝手がイマイチで死蔵しがちであったように思えます。
 運動もそうで、自分が心地よいもので、かつ自身の価値観に合ったものないと長続きするのは難しいです。

 私はダイエットについて、体を痛める作用とリバウンドの率の高さから「(痩身信仰と将来不安につけ込む)マスコミのマインドコントロールに基づく、間違ったKPIですよ」と、お奨めしていません。
 最近は、「流行りに影響を受けて、無駄な金と時間を使うのも、本当に自分が好きなモノを知る為の必要コスト」なんだよねと、達観はしてきてはいますけど。(^_^;)

 まあ、件の会員さんの場合、一番の問題は、就職してひとり暮らしを始めて以降20年程朝食を食べたコトがない、という生活パターンなようですが、、、。

 「快食・快眠・快便・知楽・動楽(知と体二つの趣味)」って,思ってたよりハードル高いのかな?

迷師徨/明師行】『業務護身』

「恫喝に屈して守秘義務を破った結果」についてそこそこ騒ぎになっている様子です。武術(護身)に係わる人間として、チョット斜めかもしれない関連次項を少し。

 「護身」において一番重要なのは、「事前回避」だと常々口にしているのですが、「危険な相手と至近距離で対応する必要がある」事態も想定されます。
「暴力の臭い」に屈するのは論外として。武術に興味がある人でも、暴力に触れた経験がなくて、どのような攻撃があるか、どのように防御したらよいのかという「発想」自体を持たない人も増えているようです。「用法」で想定している「攻撃」に戸惑っている気配を感じる事もママあります。
上記の話をしていたら、ちょうど今、クレーマーと対応しているという会員がいました。

というワケで、日曜日は「業務で、暴力を振るうかもしれない相手と至近距離で応対する必要がある(が攻撃は許されない)状況に於ける護身」、すなわち「業務護身」をやってみました。

「業務護身:第一講」
1)構え:待機のポーズ(接客業で主流になりつつあるらしい、直立し股間近くで手を重ねた姿勢)
2)手法:「直には内/横には外」直打(ジャブ・ストレート等矢状面を通る攻撃)には、内受け、横打(フック等前額面を通る攻撃)には、外受け(攔手)で防御する

指導上の備忘録
・重心は踵⇒中足
・見えない程度に膝を曲げる
・指を組まず、虎口を合わせる
※これらは皆、「構え」ではなくて「休め」になっている為だな、と。

迷師徨】「永遠に生きるかのように学べ。明日死ぬかのように生きろ」はガンジーの言葉では無かったのか。

ずいぶんと前からある言葉みたいですね。

たまに、名言がFacebookのタイムラインで流れてきます。
けど、「だから「名言」「鑑定系」「反射的にシェア」とかにいいねしちゃダメなんだってば!」https://www.landerblue.co.jp/11208/ を読んでいたので、いいねはしていません。(^_^;)
他方、心に引っかかった言葉は「Concept-Approach-Tool」と自分流に咀嚼するように心がけています。

●Concept(総論):「永遠に生きるかのように学べ。明日死ぬかのように生きろ」

●Approach:「80歳までしか生きられないと思って、大事に生きるべし」「100歳まで生きると思って、勉強すべし」

亡くなられた2人の師匠、何福生・徐文忠の両老師は80歳過ぎまで元気いっぱいでおられたので、自分も80歳までは、現在のQOLを維持すべき/したいと考えていますが、残り20年ほどと考えると時間在庫少ないなと感じます。
それもあって、「時間節約モード」「断捨離」「選択と集中」などをやっています。
他方、ちょうどいま「人生100年関連」の本を読んでたりしますが、100歳までQOLが維持できたとすると、これまでとほぼ同じ時間財産があることになります。
とすると「下り坂」や「まとめに入る」などと言った「枯れた」考えは排除すべきだろうな、と。
存命の師匠は「殺しても死なない」タイプの方ですので、この件では参考にならないな、と。(^_^;)

●Tool(各論/具体策):「一食一食を大事に」「変化を怖れない/進化・進歩する可能性を諦めない」

『人間は「有利だ」と聞かされたものを、「好きだ」と錯覚してしまう』そうですが、『「流行っている/多くの人がそうだと言っている」と、自分も好きだと錯覚してしまう』ようです。やっとこさ、自分が美味しいと感じられるものがわかって来て、上の思い込みから脱出をはかっていたら、嗜好が変化してきてて、以前美味しかった日本酒が「んっ?」と感じられたりしてて、今の自分の口に合う酒を見つける必要に迫られてたりします。(八海山は大丈夫だった。)
「腹を満たす」だけでなく、「美味しかった」と感じられる食事をするよう心がけているのですが、「あれ? 何を食べたっけ? アレを食べたのはいつだっけ?」と食への関心がいまひとつなレベルに留まっているように思えます。
食事への関心度と生産性の高さ/向上性は関連しているようなので、食への関心を高めることは、活動性を高く維持するのに有意義だな、と。
「80歳までしか生きられない」と考えると、「美味い!」と感じられる事は、あと100回無いでしょうしね。

迷師徨】「転倒死は、交通事故の2倍?」

 先日、2つあるチューナーが2つともダメになったようなので、キッチンのHDDレコーダーをPanaの全部録画Typeに買い換えました。
 「残っている」し「起動が速い」ので、Coffeeを煎れている待ち時間のような数分の細切れ時間にもTVを付け、結果今まで見なかった番組も見るようになっています。
 で、タマタマ見たNHKの番組で「転倒死は(一万人で)、交通事故の2倍」というのをやっていたので、ちょっと整理。(^_^)

 NHKの解説アーカイブス(http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/307537.html)にあったのですが、、「2017年の“転倒など”による死者は、9,683人」
 “など”とあるので、「盛っているのでは?」と、ちょっと疑ってしまいましたが、元データの「人口動態統計」(厚労省)がそうなってました。(^_^;)

 別の記事(https://www.panpanpapa.com/entry/2018/07/25/142219)によると2016年の8,030人中「平坦な場所での転倒による死亡」が5,788人と7割強とのこと。
 2016年の交通事故の死者は、5,278人でだいたい55%が65歳以上。よって、2,900人くらい。
 ふむ。とすると「高齢者のなんもないところでの転倒による死亡」は、「交通事故の2.4倍」と言える。

 2017年に9,683人とクキッと増え、四捨五入すると“1万人”と言える数字になり、「あおりタイトル」として使いやすいものになったのか。(「1.6倍」ではインパクトに欠けるし、これを2倍とすると盛りすぎと言われるものね(^_^;))

で本題。その防止に中国武術はどんな方策を持っているのか?

回答:八卦掌の「走圏」、太極拳の「推手」

 元来ウチのは(八卦掌的な)「交叉手」で、スキをつくる~読み取るのが主で、太極拳の相手の体制を崩す~投げる「推手」はあまりやってませんでした。
 少し前、「体幹を効率よく~楽しく鍛えるには?」と考え、「投げられそうなのを、感知する~耐えることは、体幹の神経・筋肉を鍛えることになる」ので、練習法として「推手」を見直していた所でした。

「楽しみながら/ゲームをしながら、転倒防止」(^_^;)