蔵出し自炊書庫:カール・セーガン『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』

 『コスモス』は衝撃的だったなぁ。
 その為に、まだ殆ど普及していなかったビデオデッキを購入した友人がいたなぁ、と。(^_^;)

===============
カール・セーガン『カール・セーガン  科学と悪霊を語る』 新潮社:1997/09/20

はじめに 私の先生たちのこと……4
第一章 いちばん貴重なもの……18
第二章 科学と希望……40
第三章 月の男と火星の顔……56
第四章 宇宙人……74
第五章 欺朧と秘密主義……91
第六章 幻覚……107
第七章 悪霊に愚かれた世界……121
第八章 真の光景と偽の光景の区別について……142
第九章 セラピー……156
第十章 ガレージの竜……173
第十一章 悩みの都市……193
第十二章 “トンデモ話”を見破る技術……203
第十三章 事実にこだわること……233
第十四章 反科学……250
第十五章 ニュートンの眠り……269
第十六章 科学者が罪を知るとき……283
第十七章 懐疑する精神と驚嘆する感性との結婚……294
第十八章 風はほこりをたてる……307
第十九章 くだらない質問というものはない……317
第二十章 火に包まれた家……335
第二十一章 自由への道……350
第二十二章 意味の虜……360
第二十三章 マックスウェルと科学オタク……370
第二十四章 科学と魔女魔術……392
第二十五章 真の愛国者は問いを発する……411
謝辞……425
科学と人類の未来のために〔解説〕池内了……428
訳者あとがき……434
===============

第十二章 “トンデモ話”を見破る技術
 懐疑的思考とは、筋の通った議論を組み立てたり、それを理解したりするための手段である。わけても重要なのは、人を惑わすごまかしを見破ることだ。

●裏づけを取れ。
●議論のまな板にのせろ。
●権威主義に陥るな。
●仮説は複数立てろ。
●身びいきをするな。
●定量化しろ。
●弱点を叩きだせ。
●オッカムのかみそり。
●反証可能性。

 「これは知識だ」という主張に出くわしたら、“トンデモ話検出キット”を取り出そう。優秀なキットなら、そうした主張を吟味するときにやるべきことだけでなく、やってはいけないことも教えてくれるはずだ。

〈対人論証〉議論の内容ではなく、論争相手を攻撃すること。
〈権威主義〉
〈「そうじゃないと具合が悪い」式の論証〉
〈無知に訴える〉虚偽だと証明されないものは真実だ、あるいは、真実だと証明されないものは虚偽だという主張。
〈特別訴答〉「手前勝手な議論」ともいう。苦し紛れに使われることが多い。
〈論点回避〉答えがはじめから決まっている。
〈観測結果の選り好み〉「都合のいい場合ばかりを数える」「当たりを数えて外れを忘れる」
〈少数の統計〉「観測結果の選り好み」の親戚。
〈統計の誤解〉
〈無定見〉
〈前提とつながらない不合理な結論を出す〉「関係のない話をする」ともいう
〈因果関係のこじつけ〉「○○をやったら××になった。それゆえ、○○)は××の原因である」
〈無意味な問い〉
〈真ん中の排除〉「虚偽の二分法」ともいう。中間の可能性もあるのに、両極端しか考えないこと。
〈短期と長期の混同〉これは「真ん中の排除」に含まれるが、重要なケースなので別項を設けた
〈危険な坂道〉「ブレーキが効かない」ともいう。これも「真ん中の排除」と関係がある。
〈相関と因果関係の混同〉
〈わら人形〉「架空の論敵に吠える」ともいう
〈証拠隠し〉真理の反面しか語らない。
〈故意に意味をぼかす〉「逃げ口上」ともいう。

“トンデモ話”には、以上のような論理的な落とし穴や言い回しの罠がある。これを知っておけば、われわれのキットは完成だ。もちろん、どんな道具とも同じように、”トンデモ話検出キッドもまちがった使われ方をするだろうし、文脈をはずれて適用されることもあるだろう。考えることを肩代わりしてくれる、退屈な機械になりさがるかもしれない。しかし、このキットを賢く使えば、世の中を変えることができるだろう。

第十三章 事実にこだわること
 ルルドの泉の奇跡
 ガン全体をひとくくりにして自然軽快する確率を求めれば、一万人に一人から、十万人に一人の割合になると推定されている。これまでルルドを訪れた人のうち、ガンを治そうとしていた人が五パーセントだったとすると、ガンだけでも五十件から五百件の「奇跡」の治癒があってもいいことになる。ところが、承認された六十五の治癒例のうち、ガンはたったの三例にすぎない。してみるルルドで自然軽快する割合は、病人が家でじっとしていた場合よりも小さくなりそうだ。

===============
  「読んでみたいな」と思ってくれたら嬉しいです。
 と、いうか友人の読書感想Blogを読んでると、ちょくちょく読みたいと思う本に出くわすのですが、件の友人のように本の魅力を伝えるにはどうすればよいのかなぁと考えつつ、書いています。

カール・セーガン  科学と悪霊を語る

蔵出し自炊書庫:W・H・マクニール 『疫病の世界史』

読書時にCheckを入れた箇所のうち、シッカリと記憶に留めておこうと思うコト。

==============================
W.H.マクニール 佐々木昭夫訳『疫病と世界史』新潮社:1985/05/25

はじめに
序 論 
第一章 狩猟者としての人類 
第二章 歴史時代へ
第三章 ユーラシア大陸における疾病常生地としての各文明圏の間の交流
       紀元前五〇〇年から紀元一二〇〇年まで
第四章 モンゴル帝国勃興の影響による疾病バランスの激変
       紀元一二〇〇年から紀元一五〇〇年まで
第五章 大洋を越えての疾病交換
       紀元一五〇〇年から一七〇〇年まで
第六章 紀元一七〇〇年以降の医学と医療組織がもたらした生態的影響
付録 中国における疫病
  ==============================

◆マクロ寄生とミクロ寄生
 文明と病原菌

◆ペスト
 ユーラシア草原地帯の病原体保有動物の近くに住んでいた人びとの間では、ペストは一向に無くならならず ~ 激しさを減じたということも全くなかった。乏しい証拠をかき集めて三度の地球的規模の大流行をでっち上げようという努力は、西ヨーロッパだけのペスト体験を全ユーラシアに投影しようとする誤った試み。
 一二〇〇年と一三九二年の間の中国人口の半減をよく説明し得るものは、~ ペストの蔓延。一三六八年の中国からの撤収に象徴されるモンゴル帝国の衰微が、パストゥーンラ・ベスティスが恐らく草原地帯全域に広がったと思われる時期にすぐ続いている。

◆梅毒
 フランペジアは、中世の医師が癩病に分類したと思われる病気である。これはスピロヘータの感染から発病するが、このスピロヘータは梅毒を起こすそれと区別できない。
 梅毒だけはアメリカのインディオから来たと信じる人がまだいるが、これも疑問である。

◆天然痘
 統計学上の分析を重ねた結果、以前の推定値は十倍あるいはそれ以上に引き上げられ、征服直前の原住民の総人口は約一億と計算されている。
 うち二千五百万から三千万がメキシコの文明中心地の人口とされ、~ 五十年もたたない一五六八年に、メキシコ中央部の人口は三百万にやせ細っていた。コルテスが上陸したときのほぼ十分の一である。~ さらにその後の五十年間にも進行し、一六二〇年には約百六十万という最低値に達した。

◆医学と医療組織
 医学的治療と医療機関が人類の平均寿命と人口増に大幅な変化をもたらすのは、実はようやく一八五〇年以降になってからのこと。
 実は、人痘種痘は、アラビア、~、インドなど広範な地域にわたって、民衆のレベルではすでによく知られ、実行されていた ~ 中国式の方法についての報告は、すでに一七〇〇年ロンドンに達している。
 イギリス人の田舎医者エドワード・ジェンナーがワクチンを発見し、一七九八年その実際の成果を広く世界に向けて公刊。
 天然痘の効果的な予防法の普及はナポレオン戦争の副産物。
 一八八〇年代以降、一連の劇的な勝利が医学者の側に相次いだ。~ 一九〇〇年には、~ 初めて都市人口が田舎からの流入人口に依存せずともみずからその数を維持し、増やしてさえゆくことが可能となった

    ず~~~と、『疾病(シッペイ)と世界史』だと思ってた。(^_^;)

晴功雨読】自炊:島崎哲男『四字熟語』

 裁断して、SCAN。赤丸や赤線をつけた箇所を読み返してますが、なかなか興味深い深掘り知識がてんこ盛りの本で、なにかのおりに読み返すのも楽しそうです。
まさに「知楽」のお奨め本です。

◆赤い糸の伝説

※「手の小指の赤い糸」って、てっきり西洋由来のお話だと思っていたら、中国伝来でかつ日本で改変されたものだったのか、、、。(^_^;)※

◆臥薪嘗胆
> 『史記』のこの記述の中に「臥薪」、薪の上に臥すという表現は見えない。いつごろから「臥薪」が「嘗胆」とむすびついて、復讐のために辛苦を重ねるたとえとして使われるようになったかは、はっきりしない。~ その後(宋末元初?)に書かれた通俗歴史書『十八史略』には、「臥薪」の故事がなぜか呉王夫差の話として、~記されている。呉王夫差の「臥薪」と越王句践の「嘗胆」と対応させたわけだが、これはあきらかに後次的な細工である。

※自分の記憶では、嘗胆臥薪の順だったのだが、、、。(^_^;)※

◆左顧右眄
>「顧」はふりかえる、「眄」は流し目でみる、わき見をする。
> 堂々と左右を脾睨するような、自信に満ちた態度をあらわすことば
> 左右のようすをうかがう自信なげな ~ 日本的用法

※日本語の主流は「右顧左眄」で、<左右のようすをうかがう自信なげな>様という意味になってますよね。太極十三勢にも含まれる「左顧・右眄」ですが、白鶴亮翅などをするとき、中国人は上の意が、日本人は下の意が、意識下で蠢いているのかも、、、。(^_^;)

◆斉東野人
> 「曰若稽古」というのはその『書経』の冒頭のことばである。
> 「稽古」ということばはここから来ている。むかしの教えをよく考える意)
> いいかげんな話という意味で「斉東野人の語」という言い方がなされている
> 日本が斉の東のそのまた東にある以上、わたしたちは文字通り「斉東野人」

※斉の国といえば、太公望呂尚。太公望といえば、「太公釣魚」。八卦掌の中でもコレは特に好きな技のひとつ。(^_^) 四字熟語として「下手の横好き」だけではなくて、「大人(たいじん)となり得る器量の人物のこと」の意味もあったのか~~~。(^_^;)※

島崎哲男 『四字熟語』1995/07/20 講談社現代新書

晴功雨読】読書メモ:桃崎有一郎_『平安京はいらなかった』

ザックリ纏めると、「平安京は、日本が背伸びしたオーバースペックの首都だった」ということ。
非常に興味深く読めた。けど、平安京についてより、宮中についての蘊蓄に食い付いてました。

・藤原京は近代の研究者が創作した造語で、実際には新益京(あらましのみやこ)と呼ばれた
・周の理想的な行政制度を記録したとされる『周礼』とは無関係に成立した書物らしい「考工記」に書かれた都城プラン(創作された伝説にすぎず、実在した可能性は低い)を信じ、それをまねて藤原京の平面プランを設計した。
・三位以上の人々を「公卿」という。
・例えば足利尊氏は、姓・尸が「源朝臣」なので、六位の時は「源尊氏」、五位の時は単に「尊氏」、四位の時は「尊氏朝臣」、三位・二位の時は「尊氏卿」、大臣の時(死後に左大臣の官を贈られた)は「尊氏公」と呼ぶ。【敬意をこめて、「三成公」と言ったりするけど厳密にはちがうのね。(^_^;)】
・生涯の大部分を六位かそれ以下で過ごす人々のうち、公達などと主従関係を結んで「侍う(側近く仕える)」仕事を世襲した家柄の人々は「侍」といわれ、ここまでが支配階級として、庶人に君臨する。
・「士」は民ではなく、民の上にある支配階級で、農民が武装したところで、武士と呼ばれない。

・真田幸村の「左衛門佐」は、室町幕府で三管領(将軍を輔佐する管領になれる三家〉ひとつ斯波氏が代々名乗っていた官位だった。
というのが、一番食い付いたところだったりする。(^_^;)

晴功雨読の日々】自炊メモ 2017年12月

東京は、雪が降っています。往復の道路が凍結しないで欲しいなぁ。

あれ? 12月って、自炊したのが2冊で、実質読んだのは1冊だけ!。

夏井睦_『炭水化物が人類を滅ぼす』

なんとかかんとか「元々人類の主要食物は非糖質であった」ので、「糖質食物からの脱却」を納得させようとしている。(^_^;)

確かに、今まで現れた「ダイエット法」の中では、『一番マシ』なように思える、ケド、、、。
でも、「美味しいから、米・小麦・トウモロコシの生産量は増えてきた」ワケで。
なにかで「日本人とは“米を食べたがる”民族」だと言っていた人がいた。
そうでなくても「母親の味付け」「県民性」と言った、短期・小領域の習慣が人を縛り、寿命に影響を与えていて、補正に苦労されている人も多い。

「厳しい筋トレ+糖質制限」は勿論、「糖質制限Only」でも、「ダイエットという思想」に基づいての行動は、早晩&高確率で、揺り返し(リバウンド)を引き起こすのだろ~な~~、と。

そう言えば、何年か前「低インシュリンダイエット」に凝ってらした頃の高千穂先生に、「もっと良いダイエット法が出てくるかもしれませんよ」と口にして、ムッとさせてしまった事があったなぁ。(^_^;)

川島博之_『農民国家 中国の限界』

中国に関する情報は一応目を通しとかないと、、、と。
と、言いつつ、自炊してノートPCに入れたけど、読めていない。(^_^;)

晴功雨読】自炊:スティーブン・R・コヴィー『7つの習慣』 1997年1月1日初版第2刷発行

自炊していても、なかなか成果は目に見えてきません。
年末にやっと2つめの本棚を整理でき、少しだけれど部屋が広くなって、チョットうれしい。

自分を形作った本の一つだと感じている、スティーブン・R・コヴィー『7つの習慣』。
最近、アドラー心理学が元ネタだと知った所だったりする。
また、最近「習慣化」というワードの重要さを再認識しつつある所でもある。

で、読書時にチェックをつけたところを、pdfからコピペしていて一番気になったさわりは、

第七の習慣:刃を研ぐ
> 刃を研ぐ最初の三つの側面――肉体、精神、知性――のことを毎日の私的成功と呼んでいる。
>あなたの今後の人生において、毎日一時間をこの私的成功の時間として過ごすように奨励したい。

という箇所。

「練三:(知-徳-体の)三軸での練功」を構成・強化する要素の一つだったのか、と。

1997年と言うことは、39歳以降に読んだことになるのか。
もっと若い頃に読んだような気がしていたけど、この本で知った「パラダイム・シフト」の考え方は、武術の指導を始めた頃に使用させて貰った記憶があるので、そう言えばそうだな、と。

自炊し抽出する前は、「7つの習慣、実践できてたっけ?」と自信がなかったけど、「W i n-W i nの考え方」など、「まあまあ、できているやん。(^_^)」といった感じです。